二、

―――あな口惜し、あな恨めしや

穏やかではない言霊を吐きながら、鬼女が二人の元へ歩みを進める。長袴を引き摺る音がいやに耳についた。
一歩ずつ近付く度に、怖気と寒気、得も言われぬ息苦しさが甦る。
ここも離れた方が良いだろうか…

「闇に捕らわれる前に、彼の岸へお逝きやす」

再び童が口を開き、すいと扇を翻す。
すると、天からはらはらと光が舞い落ちてきた。
雪とも花弁とも見えるそれは、鬼女へと降り注ぎ、穢れを祓い清めていく。
鬼から人へと戻った女を、光が橋の向こう側へと導いた。

「おやすみなさい」

ぱちん、と、音を立てて蝙蝠を閉じる。

そこでようやく、小しのは肩の力を抜いた。
いつの間に拳を握っていたのか、掌に爪が食い込んで痛んだ。

「こないな刻(とき)にこないな所へ来やはるやなんて、仕様がおへんなぁ」

童がくすりと笑みをこぼす。
年端も行かぬ者に、諭される様に言われるのは釈然としない。
少しむっとしながら、小しのが反論した。

「そっちだって人のこと言えない」
「うちはかまへんのや。これが仕事やはかい」

こちらの意を汲み取ろうとはせず、にこにこと楽しそうに笑うだけである。
童は大きな目を輝かせながら、小しのの顔を覗き込んだ。

「あんたはん、可愛(かい)らし顔したはるけど、男はんやったんやんなぁ」

もう一度、小しのは息を詰まらせた。
七つの頃より、母に命じられ、女子の姿で暮らしていた。
今となっては、誰も小しのを女子として疑わない者はいない程である。
それを、会って間もない童に簡単に見破られた。

「他言されて困るようなら、誰にも言わしまへん。安心しとくりやす」

だからと言って、そう容易く信じていいものかためらってしまう。
どうしたものかと考えあぐねていると、

「いたぞ!」

橋の袂から男が声を上げた。

「見つかったか!?」
「いやぁ、うちかも」

人のことを言えた口じゃあないが、こいつは何をしたんだ…

「橋姫様! どうか我が殿の元へ!!」

男は涙ながらに、童へと訴えた。
どこぞの貴族の侍であろうか、初老の男も涙を流しながら童に切々と懇願していては形無しである。
そして、聞き間違いでなければ、童のことを「姫」と呼んだような…

「ほんまに懲りないお人やなぁー」

男の主のことを指して言っているのか。
しつこい男に言い寄られてうんざりする女子を何人も見ているので、童女とは云え少し気の毒に思った。
ばさり、と音を立てて、小しのは後ろ手に童女の被衣を渡した。

「さっきの礼。あんたは帰れ」

しつこい男に言い寄られてうんざりする女子の切り替えし方も何度も見ているので、童女が帰宅するくらいの時間は稼げるだろうと踏んだ。
が。

「あ」

勢いをつけ過ぎた所為で、童女が橋から落ちた。

「嘘だろ、おいっ!!」

そんなに強く押した覚えはない。
むしろ「押した」覚えもない。
男も部下達に命じて、童女を川から引き揚げようと土手へと向かわせる。
2、3歩踏み出すと、男達がいる場所にだけ大雨が降った。
勢いが凄まじく、全員気を失ってしまっている。

「何、だぁ…?」
「なぁ!」

童女が川縁から小しのを呼んだ。
溺れた様子もなく、少しほっとした。

「今の間ぁに、うっとこへ連れて行っておくれやす。すぐ近くやし」
「なんで俺が…」
「あんたはんの所為で落ちた」

この童女に口では勝てないと悟った。