六、

「うち、そういうのんは好かんわ」

何故か、姫の機嫌を損ねてしまったようである。
つい「ごめん」と謝罪するが、小しの自身でも何故謝っているのかわからなかった。

「明姫」

やっくんがやんわりと微笑みながら、姫の頭に手を置く。
袖を動かしたことにより、薫物の香りがほのかに漂ってきた。
一方、姫はその手の温もりで落ち着きを取り戻したのか、ふたたびのんびりとした調子で口を開いた。

「――颯太は、なんで女子の格好をしてはるの?」
「えっと、女田楽の一座に世話になってるから、それで…」
「ほんなら、姉さん達は颯太が男やって知ってはんのや?」
「いや。お頭しか知らない」
「そう思てるのは颯太だけで、実はみぃんな気付いてたりしてなぁ♡」
「やっくん!!」

本当にそうだとしたら、どんな顔をして宿に戻れば…

「大丈夫やて! どこからどう見てもおなごそのものやし!!」

彼女なりに励ましてくれたのだろうが、どうにも素直に喜べない。
長年女子として暮らしてきたとはいえ、年頃の男子である。
なけなしの矜持は保っていたかった。


そうこうしている内に、日がとっぷりと暮れていた。
やっくんが退席しようと身支度を整え始めるのにならい、小しのも宿へ戻ると告げる。

「小しのは何処に宿を?よければ途中まで同行しよか?」
「あ、六条…」
「六条!?」

紫が思わず聞き返した。
この邸が建つ場所は一条。
単純に六条から五条、四条と上がるにしても距離があるというのに、あちらこちら迷いながら逃げ回っていたのだから、さらに長い距離を走っていることになる。

「また遠くからよう来たなぁ」

感心したようにやっくんが口を開いた。

「走ってるうちに何処にいるのかわからなくなって…」
「そら難儀どしたなぁ。ほんなら、お供付けさせてもらえますやろか。ハクちゃんおるー?」

姫が呼ぶと、凡そ「ちゃん」が似合うとは思えない僧形の寡黙な男が現れた。
体格も良ければ眉毛もない。しかし、髪はある。
これが破戒僧というやつか、と小しのは男をしげしげと見つめた。

「颯太のことを送ってあげて欲しいのや。颯太も、近くまで行かはったらお宿わかる?」
「多分…」
「また何かくっ付けてしもたら、遠慮せんと来とくりやす♡」
「…気を付ける」

上目遣いでにやりと笑う姫は、明らかに何かを期待しているようであるが、先程のような目に遭うのは御免被りたい。

「そやねぇ、気ぃ付けや」

やっくんもまた、楽しそうに笑いながら姫が用意した牛車に乗り込み、邸を後にした。
最後まで掴みどころのない少年であった。


小しのもまた、「ハクちゃん」に案内されて階まで進み出る。
しっとりとした夜の涼しさに、夏の気配を感じた。
草鞋に爪先が触れかけたところで、小しのの動きが止まる。

「名前教えて!」

大きく振り返り、姫へと問うた。

「…おなごに名ぁを訊くのんが、どういう意味かわかってはる?」
「どういう意味?」

さらりと言ってのけるあたり、名を知りたいという以外の考えはないようだ。
『我にこそは告らめ』と詠ったのはいづれの帝であったか。
姫は袖に口元を隠し、ゆったりと名を告げた。

「うちの名ぁは、明加里(あかり)です」